忍者ブログ
~明日は明日の風が吹く~…なんてね。
* admin *
[10]  [11]  [12]  [13]  [14]  [15]  [16]  [17]  [18]  [19]  [20
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

以前に書いたとある記事を探すために昔の記事を一部簡単に読み流してみたのだけど(流石に1300件以上の記事全てに目は通せない)、良きにつけ悪しきにつけ無自覚のうちに色んな部分が変わっているんだなぁと感じた。



幼かった……のだろうか。
大学入学以前の記事を読んでいると、とにかく全力で迷走していたんだなぁ、という印象を受ける。
もっとも、大学入学後の記事に於いてはぱったりそういう印象を抱かなくなるかと言われるとそんな事はもちろんなくて、今だって日々迷走はしているのだけど。

過去の記事は、とりわけ迷走の色合いが強いなぁ…といった感覚。
当然と言えば、当然なのだけど。だって実際に今以上に迷走していたし。
自分で言うのもどうかと思うけれど、中々変わった経歴を歩んだからね。



あるいは、精神状態の問題もあるかもしれない。
受験生だった1年間に更新していた記事など、かなり酷い。
病気の再発を恐れる気持ちと、勉強しなきゃならないという責任感のような思いの板挟みにされるのは、相当辛かったらしい。
実際、その葛藤を書き出している記事も結構多かった。
あるいは、そうやって悩んでいるうちに自尊感情が低下してくると、自分の存在意義を認めたがっているような記事を書いている様子も。

当時は相当キていたようですな。えぇ。
それを考えたら、環境も自分の心も共にいくらか落ち着けるようになった最近の文章が少し大人しくなっているのは当たり前なのかもしれない。



…正直言うと、今もあんまり落ち着き払ってはいられない環境ではあるのだけど。
弟はまた学校行かなくなっちゃったし。
私が不登校していた頃に比べたら、学校側の対応も随分と進歩してるのになぁ……。


私が中学に1ヶ月くらい行けなくなったときなんて、担任がクラスの生徒に『anotherと仲良くしてやってくれ』なんて頼んで偽りの友人関係築いてたみたいだし。
どうりで、その年度が終わってクラスが再編成されたら友人だと思っていた人たちがあっけなく周囲から離れていった訳だ。
そりゃあ人間不信にもなりますわ。


今はそういう事はないみたいだし、スクールカウンセラー・施設との連携も取れてるみたいだし。
親の不登校に対する理解も最初からあるんだから、私と比べたらかなり恵まれてると思うんだけどなぁ…。

…ま、外野が何を言っても本人が動こうとしなければどうしようもないのだけど。




毎度の事ながら、話が逸れた。
そんなこんなで、色んな過去を思い返すのでありました。

どんなに嫌な過去でも、それがあったから今の自分が存在するのであって。
私の苦い2度の不登校経験も、病みに病んだ受験生時代も、今の私を構成する欠かせない要素らしい。

拍手

PR
何故か、寝付けない。
明日は何も用事ないし、雨だからあまり外にも出ないだろうし…恐らく大きな影響はないのだけど、生活リズムが崩れるのは嫌だなぁ。


眠れないからと言って、多分こうやってPC起動して駄文を書こうとするのは絶対によくない対処法なのだけど。
液晶だろうが何だろうが、眠れない時に光を当てるのはあんまりよくない。
まあ、大目に見てあげて。





今日は、今から1ヶ月ちょっと前の話でも。
どうして今更なのか、と?
ここには書いていなかったという事を思い出したから。
後は、なんとなく書きたいから。



7月の下旬、テストが全部終わった日の夕方に学科での飲み会があった。
興味本位で行ってみたら、やっぱり予想通りあんまり授業を真面目に受けていないような人たちが集まっていた。


普段接しない人と会話出来るのって面白いからね、とそんな飲み会に単身で乗り込むanother。
ただのヘタレだったハズが、いつの間にやら随分と度胸がついたものである。


キッカケが飲み会だろうが何だろうが、普段はあまり接点のない人と会話してみるのは非常に面白い。
自分とは真逆のベクトルを行く人ならば、殊更に面白い。
今年の初夏あたりにそんな事に気付いて、いつの間にやら“顔は知ってるけど名前知らない…っていう人ばかり”の状況に飛び込めるほどの度胸が。



何の縁なのか知らないけれど折角同じ学校同じ学科なのだから、どうせ同じ時間を過ごすなら仲良くやりたい。
こういう意識を持っている人が、結構多い。私と真逆のベクトルを行く人たちには、特に。
だけど毛色が違うからお互いなんとなく避けあって、本当は仲良くしたいのに結局他人行儀のまま……というのは、少しもったいないね。



…少し逸れた。


そんな私にとってはアウェーな集まりの中に、一人。
とある男がいた。

このブログで書いた事があったか、あるいは他所でしか書いていなかったのかは覚えていないのだけど、同じ中学出身で、中学時代のろくでもない記憶(よくからかわれてたっけ…)が思い出されて、どうしても忌み嫌っていた人間。
彼もまた、その飲み会に居た。



結論から言うと、その『彼』と驚くほどにあっさりと打ち解けてしまった。

“どうせなら楽しく”とか大層な事を思っていたくせ、やはりどうもやりづらくて飲みの間もなんとなく避けてしまっていたのだが、ひょんな事から話をするハメになって、「幼い頃からの付き合いもあるせいか、どうしても苦手なのよ」と素直に告白したら相手も似たり寄ったりな心境だったらしく、あっさり和解した。

『中学時代はやんちゃで色々やらかしたし、嫌われててもしょうがないかな…』とかいった具合だったらしい。



日本語らしく含みを持たせて曖昧にして言い切らないのも一つの美しさではあるが、時には伝えるべき事をキッチリ伝えるのが大事な場合もあるんだなぁ……と思った次第。

中学時代からだから、4~5年はモヤモヤを抱えたままであったはずなのに、1回一緒に酒を飲んでみるだけでこうもスッキリするとは。
言葉って、不思議。

拍手

夜7時くらいに鈴虫の大合唱の中を歩いていたら、1匹だけツクツクボウシが混ざって鳴いていた。
ツクツクボウシなのに堕落した夏休みを過ごして、昼夜が逆転してしまったのだろうか。




外に出ると、夏ももう終わりなんだなぁと感じる。
暑いと言っても夏のまとわりつくような暑さではないし、気温そのものも低めだろうし。
空も、どことなくもう秋の色に。


ティーン最後の夏が、終わろうとしている。
最後の十代、ガラスの十代。
まだ誕生日まで半年以上あるけど、十代の夏はこれが最後。
別に感慨深いとか思う事はないけれど。


最後という割には、毎度の事ながらあまりアクティブな夏ではなかった気がする。
ま、私の性格がいきなりがらりと変わって変にアクティブになってしまうのも気持ち悪いけれど。
私なりにちょいちょい遊ぶ予定もあったし、他から見ればあまり動いていないのかもしれないが、私というパーソナリティから考えればそこそこ順当な夏だったような気がする。





夕方、5時か6時くらいかな…竹林の前を通ったら、ひぐらしが鳴いていた。
某サウンドノベルは関係なく、何故か琴線に触れる音色。


きっと私の場合、はしゃいで遊ぶよりも、こういう小さな自然を感じているほうが好きなんだと思う。
10代最後だからって遊びまわるんじゃなくて、ひぐらしの奏でる音色が聴こえる公園で一人静かに夏が過ぎていくのを感じているほうが、私らしいみたいだ。

拍手

3ヶ月くらい前から不定期なのか定期的なのかわからないけれど、走るようになりました。
夜の8時とか9時に、20~30分くらい。



はじまりは、5月の終わり。
あっちでは失恋、こっちでは“変わった女性”に追われ、提出課題はたっぷりと溜まり、サークル活動はなんだか新幹部になってから上手くいかず、肌荒れ酷くてニキビが痛いし……と、かなりストレスフルな状況だったのがきっかけ。
身体を動かしてでもストレス発散しないと、心がもうどうにかなりそうで。


その時から、多いときは週5、少なくても週2~3は走れたらなぁ、という感じで走っています。
テスト前とかあまりにも暑くてうっかり半月くらい走らなかったりしたけど。
定期的なようで、かなり不定期。

ハイパーストレスから解放された今でも、別に走るのを止める理由はないから継続中。
少なくとも健康に悪影響はないはずだし、止めなければならない理由もないんだし…ねぇ。




まあ、少しは身体締まったのかなぁ…というなんとも微妙な感じ。
体重は、元々標準値を少し下回っていたからあまり数値に変化なし。
受験生時代と比べて、普通に大学生してるだけで5kg落ちてしまった。
その5kg減の後で走り始めたので、大きい変化はない。
それでも走るようになってから0.5~1kgくらい落ちた気がするけど、±1kgなんて誤差の範疇のような気もする。




ストイックだと言われる事もあるが、決してそんな事はないと思う。
そもそもある程度不定期になってしまっている時点で意志は強いものではないし。
それに自分を昇華させたいという欲望にそこそこ忠実だから、走れているのだとも思う。

しかし世間はそういう克己的な考え方をストイックと呼ぶのであって、そうすると私はそこそこストイックになってしまうのか。
そんなに自分に厳しい人間じゃないんだけどなぁ。





それにしても、このゆるゆるな継続。
果たして、何かしらの力になっているのだろうか。

拍手

森見登美彦『四畳半神話大系』読破。
今年の春…丁度震災の少し後くらいだろうか、『夜は短し歩けよ乙女』という作品を読んでからというもの、すっかり森見氏の文章にハマッてしまった。
青春の情けない煩悩を、こうも立派な文章で書き出してくれるとは…という印象。
すがすがしくて、ばかばかしい。


あるいは、登場人物たちがことごとく不純でバカな行動をし続けるのも魅力の一つか。
「大学生ならこれくらいハメ外したいよなぁ」という、私の羨み。
呆れるくらいバカな事を、思い切りやってみたいなぁ。
他に喩えるなら、『もやしもん』の美里先輩とか川浜先輩みたいな感じ。





個人的には、『夜は短し…』よりも『四畳半神話大系』のほうが好み。
語り手は私の好きなたられば論を未練がましく存分に展開するし、展開するどころかこの小説は連続した時間軸ではなく横軸にある4つの世界を描いている。
おまけに、どんな横軸世界でも人間やその能力には限界があって、結局似通った結末に収束する…という“不可能性”を示唆している。



この不可能性の示唆、私の基本的な思考回路に組み込まれている「もし…」を一撃のもとに粉砕するのに十分な威力。
それでいて、不快でなく痛快であるから尚良い。


痛快であるのは、恐らく今に概ね満足しているからだと思う。
もしうつ病で引き篭もらずに健全な生活が出来ていたとしても、きっと今の私とその世界の私は大差なくて、どちらもまあ楽しくやっているとしたら。

もしかしたら、大怪我でもしてどのみち15~16歳の丸一年は屋内に押し込められるのかもしれない。
たとえば悪の秘密組織の陰謀による交通事故によって、全身を余すところ無く複雑骨折するとか。
そして、同じ病室で仲良くなった可憐な少女は不治の病によって心すらも縛られていて、常にどこか愁いを帯びた表情をしていて…彼女の心を解放すべく、心理学を志すようになるとか。


妄想?否、妄想ほど洗練されたものですらなく、今この場での完全な思いつきである。



だがしかし、どういう歩み方をしてもたとえば私がトップアスリートになる世界なんかには行き着かなくて、結局似通った横軸の世界に収束していくと考えると、それはそれで面白い。
ある地点の私が、今の私が進んでいる方向と真逆の方向に一歩踏み出したとして、それがどういう過程によって修正されていくのか…そんな事を想像してみるのも悪くない。


『今私が通っている大学以外の大学にはいかなる手段を用いても私は進学不可能だった』として不可能性を仮定すると、出逢うであろう人間もある程度絞られる訳で。
そうすると一つ一つの出逢いは、偶然よりも必然の色合いが強くなるような気がする。
偶然の邂逅と考えて一つ一つの縁を大切にするのもいいが、全てが必然であったと考えるのも私は大いにアリだと思う。
全ての出逢いには必ず何かしらの意味があって、そこから何か学ぶべきものがあって…とか、そんな具合に。






うーん、頭の中のぐちゃぐちゃとした思想をそのまま書き出したら、やはりぐちゃぐちゃだ。
現実に確認する事は恐らく決して出来ない、机上の空論。

拍手

BACK HOME NEXT
カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
カウンター
Twitter
プロフィール
HN:
another
年齢:
33
性別:
男性
誕生日:
1992/03/21
職業:
社会人
趣味:
日本文化に触れること
自己紹介:
不登校時代に「エターナルカオス」というゲームが大好きだった、とある平成生まれ。
現在は、どうにかこうにか社会人。

【座右の銘】
明日は明日の風が吹く
最新コメント
[02/20 えごっち]
[01/20 ぱう]
[10/30 みやりん]
[09/01 栖依]
[03/19 ぱう]
[06/25 佐久真]
[06/19 佐久真]
[06/07 佐久真]
[05/11 佐久真]
[05/07 佐久真]
バーコード
ブログ内検索
最新トラックバック
アクセス解析
忍者ブログ // [PR]

template ゆきぱんだ  //  Copyright: Tomorrow is another day All Rights Reserved