~明日は明日の風が吹く~…なんてね。
陽が落ちて少々寒くなったので、部屋でヒーター焚いたらうっかりそのままうたた寝してしまい鼻とノドがカピカピに乾燥してSOSサイン発してます。
やっちまった。嗚呼油断した。
時に、最近文庫本以外にこんな本を読むようになった。

「うつ」な人ほど強く優しくなれる-うつで疲れたあなたの心に聞く「こころのリハビリ」 : 野口 敬
これまで「うつの判別」だとか『通院に至るまでのプロセス』を書いた系統の本は何冊か読んでいるのだが、いざうつだと判明した後にどうすべきなのか…を具体的に書いた本は読んだ事がなかった。
ある意味、こういう本に目を通そうという気分になれたという事はやっと自分の現状を認めつつあるのかもしれない。
もっとも、まだ読み終わっていないのだが。
ゆらゆらと気まぐれに読んでいるせいか、まだ第1章の途中である。
ただ、後ろの方に『ブログ療法』なるものが書いてあったのでそこだけは気になって掻い摘んで読んだ。
しかし、感想は正直なところなんとも言いがたい。
著者はブログ療法を大いにプッシュしているが、諸刃の剣である事がまるで書かれていない。
(私なりの解釈で)簡単に言ってしまえば、ブログは自分の置かれた状況とそれに対する自分の心境を率直に書き出すことで自分を客観的に見る事が出来る。『認知療法』のようなもの。
そして、ブログの双方向性が孤独感を解消してくれる…という主張。
言っている事は間違っていないと思う。確かにその通りである。
私自身も此処のおかげで孤独感から抜け出せた事は数知れず。
だけど、この療法には穴も多いのではないか思う。
まず、自分の事を書き出すのに一苦労である。
誰でも閲覧可能なネットワーク社会で、いくら1個人のブログとは言えあれもこれも赤裸々に書くのは私とて容易に出来る芸当ではない。
『助けてほしい』と思っても、素直に「助けてくれ」とはブログでは書けない。少なくとも私は。
『誰でも閲覧可能である』という事は、たとえば心無い人が閲覧する事も可能だという事。
早い話が『メンヘラ』の一言で一蹴される可能性もあるという事(私自身にそんな経験はないが)。
建前の必要がないネット社会だからこそ、心のテリトリーに土足でズカズカと踏み入ってくる輩もいるもんだ。
そうやって心無い人達の罵声じみた本音で心を叩き潰された人を知っている私には、いくら此処であっても100%を書き出す事は出来ない。
それに、ブログをつけているからこそ孤独感に襲われる事もある。
人気タレントなら話は別だろうが、一般人の小さなブログの閲覧数などおよそお察しである。
『閲覧者数ゼロ』だとかいう状況になれば、症状の程度によっては「誰にも必要とされてないんだ…」と思い詰めてしまう。
…恥ずかしい話、私もかつては実際にそうだったのだが。
既に何度か書いているが、web拍手を設置した理由がまさにそれである。
閲覧者数の落ち込みに比例して、私も落ち込んだものだ。
落ち着いた今でこそ、閲覧者数などどうでもいいと思えるが。
とどのつまり、このブログはこの本の著者の言う『ブログ療法』のそれではない。
ブログの特性上ブログ療法と重複する部分もあるが、このブログは私の趣味兼ルーチンワークじみたものである。
元々、読者の読み辛さなど一切考えずに長い長い駄文を連ねるのは好きだしね。
『ブログ療法』をやるならば、1からブログを開設するよりも事情のある人達が集まるコミュニティを利用したほうが安全だと思う。
もっとも、私的には『ブログ療法』以外の項はかなり読みやすい一冊。
この本を読み終わる頃には、今よりも少しでも自分に自信が持てるようになっていたらいいな。
…文脈無視して卒業ソング。
今日は直太朗。改めて聴いてみるとまたいいなぁこの曲。
さくら(独唱) / 森山直太朗
それじゃ。
|////| ( )ノ |////| ウィーン(自動ドア
やっちまった。嗚呼油断した。
時に、最近文庫本以外にこんな本を読むようになった。
「うつ」な人ほど強く優しくなれる-うつで疲れたあなたの心に聞く「こころのリハビリ」 : 野口 敬
これまで「うつの判別」だとか『通院に至るまでのプロセス』を書いた系統の本は何冊か読んでいるのだが、いざうつだと判明した後にどうすべきなのか…を具体的に書いた本は読んだ事がなかった。
ある意味、こういう本に目を通そうという気分になれたという事はやっと自分の現状を認めつつあるのかもしれない。
もっとも、まだ読み終わっていないのだが。
ゆらゆらと気まぐれに読んでいるせいか、まだ第1章の途中である。
ただ、後ろの方に『ブログ療法』なるものが書いてあったのでそこだけは気になって掻い摘んで読んだ。
しかし、感想は正直なところなんとも言いがたい。
著者はブログ療法を大いにプッシュしているが、諸刃の剣である事がまるで書かれていない。
(私なりの解釈で)簡単に言ってしまえば、ブログは自分の置かれた状況とそれに対する自分の心境を率直に書き出すことで自分を客観的に見る事が出来る。『認知療法』のようなもの。
そして、ブログの双方向性が孤独感を解消してくれる…という主張。
言っている事は間違っていないと思う。確かにその通りである。
私自身も此処のおかげで孤独感から抜け出せた事は数知れず。
だけど、この療法には穴も多いのではないか思う。
まず、自分の事を書き出すのに一苦労である。
誰でも閲覧可能なネットワーク社会で、いくら1個人のブログとは言えあれもこれも赤裸々に書くのは私とて容易に出来る芸当ではない。
『助けてほしい』と思っても、素直に「助けてくれ」とはブログでは書けない。少なくとも私は。
『誰でも閲覧可能である』という事は、たとえば心無い人が閲覧する事も可能だという事。
早い話が『メンヘラ』の一言で一蹴される可能性もあるという事(私自身にそんな経験はないが)。
建前の必要がないネット社会だからこそ、心のテリトリーに土足でズカズカと踏み入ってくる輩もいるもんだ。
そうやって心無い人達の罵声じみた本音で心を叩き潰された人を知っている私には、いくら此処であっても100%を書き出す事は出来ない。
それに、ブログをつけているからこそ孤独感に襲われる事もある。
人気タレントなら話は別だろうが、一般人の小さなブログの閲覧数などおよそお察しである。
『閲覧者数ゼロ』だとかいう状況になれば、症状の程度によっては「誰にも必要とされてないんだ…」と思い詰めてしまう。
…恥ずかしい話、私もかつては実際にそうだったのだが。
既に何度か書いているが、web拍手を設置した理由がまさにそれである。
閲覧者数の落ち込みに比例して、私も落ち込んだものだ。
落ち着いた今でこそ、閲覧者数などどうでもいいと思えるが。
とどのつまり、このブログはこの本の著者の言う『ブログ療法』のそれではない。
ブログの特性上ブログ療法と重複する部分もあるが、このブログは私の趣味兼ルーチンワークじみたものである。
元々、読者の読み辛さなど一切考えずに長い長い駄文を連ねるのは好きだしね。
『ブログ療法』をやるならば、1からブログを開設するよりも事情のある人達が集まるコミュニティを利用したほうが安全だと思う。
もっとも、私的には『ブログ療法』以外の項はかなり読みやすい一冊。
この本を読み終わる頃には、今よりも少しでも自分に自信が持てるようになっていたらいいな。
…文脈無視して卒業ソング。
今日は直太朗。改めて聴いてみるとまたいいなぁこの曲。
さくら(独唱) / 森山直太朗
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プロフィール
HN:
another
年齢:
33
性別:
男性
誕生日:
1992/03/21
職業:
社会人
趣味:
日本文化に触れること
自己紹介:
不登校時代に「エターナルカオス」というゲームが大好きだった、とある平成生まれ。
現在は、どうにかこうにか社会人。
【座右の銘】
明日は明日の風が吹く
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【座右の銘】
明日は明日の風が吹く
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