~明日は明日の風が吹く~…なんてね。
・・・とは書いてみるものの、やはり去年の3月で去ってしまった私には正直実感がない。
それにしてもフォーマルには程遠い服装だったよなぁやっぱり・・・。
天気予報が暖かくなるとか言うから薄手のアウターにしたのに、言うほど気温上がってないじゃない。
アウター違うのにしておけば少しはフォーマルに見えたか・・・?
あーあ、スーツ作ろう。無いと不便である事を痛感。
去年は2階に忍び込み、今年は保護者席。
マトモに生徒として高校の卒業式に出た事がない。
入学式は生徒サイドに居たハズなのだが卒業式は保護者席とはこれいかに。
私という人間以外には恐らく体験し得ないであろうなんとも奇妙な感覚である。
そして、1年というスパンは中々に大きいものらしい。
去年の離任式に赴いた時から薄々気づいてはいたのだが、正直やりづらかった。
個人個人と話をしている分には何ら問題ないのだが、部活で集まられると何故かやりづらい。
詳しい理由はわからないが、どうやらこれが私の決意の1年が作り出した溝であるらしい。
もっとも、この溝はごく自然なもの。
1人で1年も離脱していたら、やりづらくなって当たり前。
時は決して止まる事なく流れ続ける。それは私の目の届かない場所であっても。
それと同時に、私の時間も流れ続ける。
これは、部活が私が離脱した時のそれのままではないのと同時に私自身も去年の3月の私ではないという事。
むしろそれでばっちり歯車が噛み合っちゃったら気味が悪い。
もっとも、なんとなく感じる距離感はやはり寂しいものであるが。
それでも…『ありがとう』くらいは言っておきたかったかもなぁ。
今の私が居るのは、皆に出会えたからこそであって。
1年しか居られなかったけど、酸いも甘いも全部ひっくるめて凄く楽しかった。
今まで約18年生きてきた中で、これまで常に少人数を好んでいた私が10人以上の集団でこんなに楽しかったのは間違いなく初めてだったと思う。
ありがとう。本当に。
養護の姉さんとも、およそ1年ぶりに会った。
「今度お茶しようか」「今度ご飯でも食べに行こう」「二人で土曜公開授業でも観に行っちゃう?」とかお互いに散々提案こそしていたものの、今日まで結局会えずにいたから。
やっぱり全部お見通しか、この人は…。
まったく敵わん。どうやら進学後の不安の内容すらも完全に予測されていたらしい。
進学後にすべき事をいくつか聞いて。
「〇〇先生に会いにいったほうがいい」とまで言われた。そこに私の求めるものがあるそうだ。
・・・その先生を今調べてみたのだが、確かにその通りかもしれない…。
これがただの偶然の巡り合わせだとしたら、中々に面白いものである。
他には1コ上の先輩の進路の話なんかも聞いて、不安は粗方解消。
卒業式に何しに行ってたんだろうね、私は。カウンセリング受けに行ってたのか?
後は『ヤバいと思ったらヘルプを出しなさい』としっかり何重にも釘を打たれたり。
「私より先に死ぬな」とも何度も言われたな。
本当にこの1年、ずっと心配してくれてたんだろうなぁ…。
…否、これは姉さんに限った話じゃないな。
在学中にお世話になった先生方皆に、私は心配されていた。
今日、約半年ぶりに高校に行って痛感。
これほどの人達に支えられていた事に、どうして私は今まで気づけなかったのだろう。
学校にももう少し頻繁に連絡を入れていてもよかったのにね・・・とんだ不孝者だ。
卒業云々ではなく、自分がいかに幸せ者であったか…という事に気づかされて涙腺がゆるむのだった。
ここでもただただ…ありがとう。
私は結局1年経っても寂しがりだから、たまには連絡くれると嬉しいな。
愚痴でも悩みでも泣き言でも、何だって構わない。
私は何よりも、人とのコミュニケーションに幸せを感じる人間だから。
長くなったから、突然やってきた不思議なアルパカとか書きそびれた事はまたの機会に。
それじゃ。
|////| ( )ノ |////| ウィーン(自動ドア
それにしてもフォーマルには程遠い服装だったよなぁやっぱり・・・。
天気予報が暖かくなるとか言うから薄手のアウターにしたのに、言うほど気温上がってないじゃない。
アウター違うのにしておけば少しはフォーマルに見えたか・・・?
あーあ、スーツ作ろう。無いと不便である事を痛感。
去年は2階に忍び込み、今年は保護者席。
マトモに生徒として高校の卒業式に出た事がない。
入学式は生徒サイドに居たハズなのだが卒業式は保護者席とはこれいかに。
私という人間以外には恐らく体験し得ないであろうなんとも奇妙な感覚である。
そして、1年というスパンは中々に大きいものらしい。
去年の離任式に赴いた時から薄々気づいてはいたのだが、正直やりづらかった。
個人個人と話をしている分には何ら問題ないのだが、部活で集まられると何故かやりづらい。
詳しい理由はわからないが、どうやらこれが私の決意の1年が作り出した溝であるらしい。
もっとも、この溝はごく自然なもの。
1人で1年も離脱していたら、やりづらくなって当たり前。
時は決して止まる事なく流れ続ける。それは私の目の届かない場所であっても。
それと同時に、私の時間も流れ続ける。
これは、部活が私が離脱した時のそれのままではないのと同時に私自身も去年の3月の私ではないという事。
むしろそれでばっちり歯車が噛み合っちゃったら気味が悪い。
もっとも、なんとなく感じる距離感はやはり寂しいものであるが。
それでも…『ありがとう』くらいは言っておきたかったかもなぁ。
今の私が居るのは、皆に出会えたからこそであって。
1年しか居られなかったけど、酸いも甘いも全部ひっくるめて凄く楽しかった。
今まで約18年生きてきた中で、これまで常に少人数を好んでいた私が10人以上の集団でこんなに楽しかったのは間違いなく初めてだったと思う。
ありがとう。本当に。
養護の姉さんとも、およそ1年ぶりに会った。
「今度お茶しようか」「今度ご飯でも食べに行こう」「二人で土曜公開授業でも観に行っちゃう?」とかお互いに散々提案こそしていたものの、今日まで結局会えずにいたから。
やっぱり全部お見通しか、この人は…。
まったく敵わん。どうやら進学後の不安の内容すらも完全に予測されていたらしい。
進学後にすべき事をいくつか聞いて。
「〇〇先生に会いにいったほうがいい」とまで言われた。そこに私の求めるものがあるそうだ。
・・・その先生を今調べてみたのだが、確かにその通りかもしれない…。
これがただの偶然の巡り合わせだとしたら、中々に面白いものである。
他には1コ上の先輩の進路の話なんかも聞いて、不安は粗方解消。
卒業式に何しに行ってたんだろうね、私は。カウンセリング受けに行ってたのか?
後は『ヤバいと思ったらヘルプを出しなさい』としっかり何重にも釘を打たれたり。
「私より先に死ぬな」とも何度も言われたな。
本当にこの1年、ずっと心配してくれてたんだろうなぁ…。
…否、これは姉さんに限った話じゃないな。
在学中にお世話になった先生方皆に、私は心配されていた。
今日、約半年ぶりに高校に行って痛感。
これほどの人達に支えられていた事に、どうして私は今まで気づけなかったのだろう。
学校にももう少し頻繁に連絡を入れていてもよかったのにね・・・とんだ不孝者だ。
卒業云々ではなく、自分がいかに幸せ者であったか…という事に気づかされて涙腺がゆるむのだった。
ここでもただただ…ありがとう。
私は結局1年経っても寂しがりだから、たまには連絡くれると嬉しいな。
愚痴でも悩みでも泣き言でも、何だって構わない。
私は何よりも、人とのコミュニケーションに幸せを感じる人間だから。
長くなったから、突然やってきた不思議なアルパカとか書きそびれた事はまたの機会に。
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プロフィール
HN:
another
年齢:
33
性別:
男性
誕生日:
1992/03/21
職業:
社会人
趣味:
日本文化に触れること
自己紹介:
不登校時代に「エターナルカオス」というゲームが大好きだった、とある平成生まれ。
現在は、どうにかこうにか社会人。
【座右の銘】
明日は明日の風が吹く
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