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~明日は明日の風が吹く~…なんてね。
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今日は…ね。
言わずもがな、広島に原爆が投下された日。
今日だけはしっかり早起きして、8時15分に黙祷した。
爆撃機B-29(エノラ・ゲイ)が濃縮ウラン型原子爆弾「リトルボーイ」を8月6日午前8時15分に投下。
これは、日本人として…否、人類として決して忘れてはいけない出来事。
去年の今日も原爆について何かを綴った気がする。
けど、今年も書く。
一人でも多くの人に、この思いが届く事を願って。




私はいわゆる「被爆三世」にあたる。
1945年8月6日、その日祖父が広島にいた。
幸い祖父が当時いた場所は爆心地からは遠く、直接的な被害を受けた訳ではない。
でも、光も、衝撃も、キノコ雲も、黒い雨も、その身を以って知っている人。
原爆の被害そのものを目で見て、耳で聞いて、肌で感じた「被爆者」。
半端じゃない量の放射能も、浴びている。
原爆が炸裂したその瞬間もそうだし、その後の黒い雨も浴びている。
「今も生きているのが不思議」と医者に言わしめるほど。
63年前のたった一発の爆弾に、今でも体を蝕まれている。
まだまだ元気だがいつ死んでもおかしくはない状況らしい。


小学生だった頃は私も「学校の課題だから」と、8月6日の様子をよく聞いたりしていた。
色々と語ってくれたし、その話は今でも私の中で生きているが、今考えてみればかなり軽率で無神経だったと思う。
祖父は、いとこを原爆で失っている。
爆心地付近にいたらしく、即死。
そのいとこは、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(わからなかったら調べてね)に遺影が登録されている。
過去の過ちは、後世に語り継いでいかなければならないもの。
戦争や、原爆ならば尚更に。
これは凄く大切な事だと思う。
でもそんなに簡単に割り切れるものでもないのではないか、と最近思う。
「もし自分だったら…」を考えると、そんなに簡単に割り切られてたまるか、と思ってしまう。
目の前で親しい人を含めた大勢の人々が、跡形もなく吹き飛んでしまった。
生き残った人々も、後遺症により次々と命が奪われていく。
60年以上経っても、その傷は自身の体を今も蝕んでいる。
そんな悲劇を、わざわざ思い出して人々に語れるだろうか。
私だったら…多分出来ない。
「もしも」を想像するだけで、十分に恐ろしい。
写真や書物からしか原爆を知らない私でさえも。
それが想像なんかじゃなく、祖父の目前では実際に起こったのだから。
本物の原爆を肌で感じて、尊い命が消し飛んでいく様子をその目で見たのだから。


戦後63年経った今でも、原爆について語りたがらない被爆者も多いという。
考えてもみれば、そう感じるのも当たり前だと思う。
恐らく祖父も、あまり語りたくはないのだろう。
戦時中については時々自分から話をしてくれるが、滅多な事でもない限り8月6日の出来事は話題に出さない。
その一日の話だけ、ぽっかりと穴が開いたように。
純粋無垢ではなくなってしまった今の私には、むやみに聞き込む事も気の毒に思えて出来ない。
でも、そうやって目を背けていても前には進めないだろう。
今度また、何か機会を作って話を聞いてみる事にする。
広島にでも一緒に行こうかな。
きっと乗り気にはなってくれないだろうけど、話してはくれると思う。
絶対に、忘れ去ってはいけない人類最大の過ちを。


これらが、実物を知らない私が精一杯アンテナを張って感じ取れる原爆の恐ろしさ。
原爆についてボランティアで語り歩いている被爆者の方々には、まったく頭が下がる。
思い出すだけでも辛いのに、それでも平和のために思い出して、知らない世代へと語り継いで。
悲劇から60年以上経ったのに、未だに核兵器を廃絶出来ていない人類の愚かさには頭が痛くなる。
世界平和なんて夢のまた夢のように思えてくる。
でも…そこで諦めたら、出来るものも出来なくなってしまうのではないだろうか。
世界的に見たらどんなにちっぽけな行動でも、戦争の恐ろしさを、原爆の恐ろしさを語り継いでいく事は言い方が悪くなるけど…諦めて何もしないよりはよっぽどマシなんじゃないだろうか。
少しずつでも、世界平和に近づけるのではないだろうか。
憲法第九条のある「世界で唯一戦争をしない国」日本に生まれた事を、私は誇りに思う。


最後に。
私は被爆三世であり、まだまだ研究途中ではあるものの私の遺伝子にも何か傷がついているかもしれない。
冗談のように思えるかもしれないけど、結構真面目な話。
悲しい。だけど、これが原爆の実態。
でも私は、普通の人々が生きるように、生きる。
むしろ何か、この立場にいる私だから出来る事もあるのではないだろうか。
せっかくこの世に生まれ落ちたのだから、絶対に何かしらの意味はあるハズ。
その「意味」の中の一つに、原爆の恐ろしさを語り継ぐっていうのもあるんじゃないかなって思って。
そう思うからこそ、今日ここでこの記事を書いているのかもしれない。
広島のリトルボーイに限った事じゃなく、長崎のファットマン…否、太平洋戦争全般。
それに、それ以前、それ以降の戦争も然り。
広島に限った事じゃない、人間の過ちなんて腐るほどにある。
でも、それらを少しでも紐解く事が出来たら。
そして少しでも、世界平和に近づく事が出来たら…って思う。
その中でも私の体に組み込まれているであろう広島のリトルボーイは、特に想いが強かったのかもしれない。

世界平和が、一日でも早く訪れる事を願って。
8月6日     another

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不登校時代に「エターナルカオス」というゲームが大好きだった、とある平成生まれ。
現在は、どうにかこうにか社会人。

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