~明日は明日の風が吹く~…なんてね。
人間がある程度集まった集団において、「敵」とは絶対に必要なものなのだろうか。
集団の中の人員同士が「ライバル」なのは問題ない、むしろお互い高めあえる貴重な存在だろう。
でも私が言ってるのは違う、敵。
ただ自分たちの気が晴れるまで、叩くための存在。
小学校のいじめなんかにも精通するものがある気がするが、そうやって「叩くための敵」を作り出して叩いていないとお互いの関係を保つ自信のない集団とは、如何なものか。
そういう集団においては恐らくその敵が逃げたり潰れたりした場合、次の敵が集団の内部、あるいは集団の周辺から選ばれる事になる。
叩いても叩いても、敵がいなくなる事はない。
そうやって結局は自分の首を絞める行為をしている集団に、何の向上が見出せるのだろうか?
そしてその敵を攻撃するための刃は、時に関係のない人まで巻き込む。
言葉で追い詰めようが、物理的に殴りつけようが。
その「攻撃する」行為を見たり聞いたりしてしまうだけで精神的な痛みを感じる人も少なくない。
現に私も、今まで嫌と言うほどそれで傷つけられてきた過去がある。
自分だけじゃない、そうやって傷ついてきた人も見てきた。
どうせ人が集うなら、そんな低レベルな集団ではいたくない。
心理学的に見ても自分よりも立場が下だと認識できる存在、即ち複数で叩ける敵を人間が作りやすい傾向にあるのはわかる。
だけど、そんな忌まわしい人間の習性なんて取っ払える関係でいたい。
むしろ、敵を作らなければやっていられないようなジメジメした関係より、お互いに高め合える関係のほうがよほど価値を見出せる。
真正面から意見がぶつかって、怒ったり泣いたりする事は悪い事じゃない。
下手に感情を隠して表面上だけ平静を取り繕うより大分マシ。
大人になってしまうとそうもいかないのだろうが、私の歳ならまだ全力で互いにぶつかり合っても「若き日の過ち」で済むだろう。
むしろそうやって成長していくのだろうと思う、人間は。
…はて、私は何を考えているのだろうか。
元はと言えば「私の存在」という問いからこの思念は派生した。
今の学校から私の存在がなくなったとき、つまり4月1日から学校で何かが変わるだろうか?と。
まあ、学校なんていうマクロな目線で見たら何も変わらないだろう、こいつを「変わる」と言えるならナルシストもいいところだ。
だけど保健室や視聴覚室だとかいう私の存在の痕跡が残る場所、あるいは私とある程度深く関わった人達には何らかの変化があるのかな、と思う。
変化と言うよりは…私の痕跡、なのかもしれないが。
ただそうやって今まで私と関わってきたものとか、私が寄りかかってきたものだとかを色々と考えていたら、様々な疑問が噴出して止まらなくなった。
「1年間の間に、自分は誰かの為に動く事ができただろうか」とか「これから去るまでの14日間で何をするべきか」とか。
自分の存在、からあまりかけ離れない程度の疑問ならこの程度だが実際はあることないこともうもの凄い量だった。
そうやって疑問に埋もれていくうちに、自分を見失ってしまう。
私は、果たして誰の為に何を悩んでいるのだろうか。
違う。「誰かの為」なんて大義名分じゃないかもしれない。
自分のただのエゴだって可能性も十二分に。
何の為に、何を悩んでいるのか。
自分を見失うほどに悩んで、私は何を望んでいるのだろうか?
そしてその答えは、後14日の間に見つける事が出来るのだろうか?
今まで「誰かの為に」動き続けてきたつもりの1年だったが、思い返してみると果たして何ができたのだろうか。
痛みだけわかってるつもりで、結局何もできやしなかったのではないか。
そんなとりとめのない事をスタバのカウンター席から曇り空を見つめながら考える火曜日だった。
カフェモカ1杯で、随分と長居したものだ。
それじゃ、また明日。
|////| ( )ノ |////| ウィーン(自動ドア
集団の中の人員同士が「ライバル」なのは問題ない、むしろお互い高めあえる貴重な存在だろう。
でも私が言ってるのは違う、敵。
ただ自分たちの気が晴れるまで、叩くための存在。
小学校のいじめなんかにも精通するものがある気がするが、そうやって「叩くための敵」を作り出して叩いていないとお互いの関係を保つ自信のない集団とは、如何なものか。
そういう集団においては恐らくその敵が逃げたり潰れたりした場合、次の敵が集団の内部、あるいは集団の周辺から選ばれる事になる。
叩いても叩いても、敵がいなくなる事はない。
そうやって結局は自分の首を絞める行為をしている集団に、何の向上が見出せるのだろうか?
そしてその敵を攻撃するための刃は、時に関係のない人まで巻き込む。
言葉で追い詰めようが、物理的に殴りつけようが。
その「攻撃する」行為を見たり聞いたりしてしまうだけで精神的な痛みを感じる人も少なくない。
現に私も、今まで嫌と言うほどそれで傷つけられてきた過去がある。
自分だけじゃない、そうやって傷ついてきた人も見てきた。
どうせ人が集うなら、そんな低レベルな集団ではいたくない。
心理学的に見ても自分よりも立場が下だと認識できる存在、即ち複数で叩ける敵を人間が作りやすい傾向にあるのはわかる。
だけど、そんな忌まわしい人間の習性なんて取っ払える関係でいたい。
むしろ、敵を作らなければやっていられないようなジメジメした関係より、お互いに高め合える関係のほうがよほど価値を見出せる。
真正面から意見がぶつかって、怒ったり泣いたりする事は悪い事じゃない。
下手に感情を隠して表面上だけ平静を取り繕うより大分マシ。
大人になってしまうとそうもいかないのだろうが、私の歳ならまだ全力で互いにぶつかり合っても「若き日の過ち」で済むだろう。
むしろそうやって成長していくのだろうと思う、人間は。
…はて、私は何を考えているのだろうか。
元はと言えば「私の存在」という問いからこの思念は派生した。
今の学校から私の存在がなくなったとき、つまり4月1日から学校で何かが変わるだろうか?と。
まあ、学校なんていうマクロな目線で見たら何も変わらないだろう、こいつを「変わる」と言えるならナルシストもいいところだ。
だけど保健室や視聴覚室だとかいう私の存在の痕跡が残る場所、あるいは私とある程度深く関わった人達には何らかの変化があるのかな、と思う。
変化と言うよりは…私の痕跡、なのかもしれないが。
ただそうやって今まで私と関わってきたものとか、私が寄りかかってきたものだとかを色々と考えていたら、様々な疑問が噴出して止まらなくなった。
「1年間の間に、自分は誰かの為に動く事ができただろうか」とか「これから去るまでの14日間で何をするべきか」とか。
自分の存在、からあまりかけ離れない程度の疑問ならこの程度だが実際はあることないこともうもの凄い量だった。
そうやって疑問に埋もれていくうちに、自分を見失ってしまう。
私は、果たして誰の為に何を悩んでいるのだろうか。
違う。「誰かの為」なんて大義名分じゃないかもしれない。
自分のただのエゴだって可能性も十二分に。
何の為に、何を悩んでいるのか。
自分を見失うほどに悩んで、私は何を望んでいるのだろうか?
そしてその答えは、後14日の間に見つける事が出来るのだろうか?
今まで「誰かの為に」動き続けてきたつもりの1年だったが、思い返してみると果たして何ができたのだろうか。
痛みだけわかってるつもりで、結局何もできやしなかったのではないか。
そんなとりとめのない事をスタバのカウンター席から曇り空を見つめながら考える火曜日だった。
カフェモカ1杯で、随分と長居したものだ。
それじゃ、また明日。
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プロフィール
HN:
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年齢:
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性別:
男性
誕生日:
1992/03/21
職業:
社会人
趣味:
日本文化に触れること
自己紹介:
不登校時代に「エターナルカオス」というゲームが大好きだった、とある平成生まれ。
現在は、どうにかこうにか社会人。
【座右の銘】
明日は明日の風が吹く
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明日は明日の風が吹く
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