~明日は明日の風が吹く~…なんてね。
「この世界は人に憎まれず、且つ人を憎まない人が一番巧くやっていけるものだと私は考える。
前者は言わずもがな、後者が重要。
ウザい輩なんてどこにでもいる。
それをいかに眼中に留める事無くスルーできるか、ここが分岐点。
いちいち突っかかったり、表には出さずとも憎んでたりしてたら相手はもちろん自分だって心地のいいものではない。
自分が明らかに正論でも、時には折れてやらないといけない場合もある。
そこの見極めも大切。
「正しい事」だけを振り回しているだけでやっていけるほど、この世は利口じゃない。
ストレス溜まると、寿命縮むしね。
ウザい奴は、極力眼中に収めない。気にしない。
これが一番楽。
だが、完璧な人間なんてまずいない。
ストレスを全く感じずに生きていける人はいないだろう。
そのストレスをいかに解消するか、これもまた大事。」
これは私が1年以上前に某SNSサイトに書いた日記、もとい駄文。
自分でもさっぱり忘れていたのだが、先日偶発的に発掘された。
今の私に同じお題を出題したところで、恐らく粗方は似たような事を書くと思う。
だが1つだけ明らかに1年前と今との考えの相違を見つけたのでここに書き留めておきたい。
「厄介事を適当に切り抜ける」事が大切だと説く1年前の私だが、対して今は「厄介事をいかに認めてやれるか」と思うようになった。
ウザい奴を気にしないのではなく、ウザいと思いたくない。
この考えは1年間をかけた私の成長の一部なのか、あるいは奇麗事を並べるようになってしまっただけの事なのか。
答えはわからないが、前者だと信じたい。
4月から今日まで、私は色んな人を見てきた。色んな人の考え方を知った。
同じ物事に対してでも、人の数だけ感じ方がバラバラである事を知った。
その様々な思念は、全てが正解であると同時に全てが不完全だった。
だからこそ、誰も間違っていないのに激しい摩擦が起こり、時には誰かを傷つける事すらある。
そんな「誰もが不本意な傷つけあい」を見てきて、不必要な痛みを見て、感じて。
ならば非難、あるいは避難する(避ける)以前に「正しい部分」を見つけ出してやればいいんじゃないかって思うようになった。
先に正しい部分を見つけてやれれば、どこがどう自分の考えと違うのか、何故すれ違ってしまうのかが見える。
そうやって相手の論理を追えれば、無駄に傷つく事も減るのではないだろうか。
ただ人を憎まないのではなく、憎む必要のない思考に。
無論、これだけで渡り歩いていけるほど世の中は甘くない。
誰彼構わずやっていたら、恐らくは詐欺やらマルチやらに瞬く間にたたみ掛けられて懐に空っ風だろう。
でも、ある程度親しい間柄だったりだとか、信頼できる仲だったりとか。
そんな場合には、1年前の持論よりも今の考えのほうが失うものが少ないのではないかと思う。
…結局、何が言いたいのか自分でもよくわからない。
今の持論は抽象的すぎて、具体的な言葉にはならなくて。
ただ言えるのは…そうだな、「バカと呼べるくらいのお人よしでありたい」。
許す心だとか、思いやりとか、結局はそういうところに回帰するのかもしれないけれど。
それじゃ、今日はこれで。
|////| ( )ノ |////| ウィーン(自動ドア
前者は言わずもがな、後者が重要。
ウザい輩なんてどこにでもいる。
それをいかに眼中に留める事無くスルーできるか、ここが分岐点。
いちいち突っかかったり、表には出さずとも憎んでたりしてたら相手はもちろん自分だって心地のいいものではない。
自分が明らかに正論でも、時には折れてやらないといけない場合もある。
そこの見極めも大切。
「正しい事」だけを振り回しているだけでやっていけるほど、この世は利口じゃない。
ストレス溜まると、寿命縮むしね。
ウザい奴は、極力眼中に収めない。気にしない。
これが一番楽。
だが、完璧な人間なんてまずいない。
ストレスを全く感じずに生きていける人はいないだろう。
そのストレスをいかに解消するか、これもまた大事。」
これは私が1年以上前に某SNSサイトに書いた日記、もとい駄文。
自分でもさっぱり忘れていたのだが、先日偶発的に発掘された。
今の私に同じお題を出題したところで、恐らく粗方は似たような事を書くと思う。
だが1つだけ明らかに1年前と今との考えの相違を見つけたのでここに書き留めておきたい。
「厄介事を適当に切り抜ける」事が大切だと説く1年前の私だが、対して今は「厄介事をいかに認めてやれるか」と思うようになった。
ウザい奴を気にしないのではなく、ウザいと思いたくない。
この考えは1年間をかけた私の成長の一部なのか、あるいは奇麗事を並べるようになってしまっただけの事なのか。
答えはわからないが、前者だと信じたい。
4月から今日まで、私は色んな人を見てきた。色んな人の考え方を知った。
同じ物事に対してでも、人の数だけ感じ方がバラバラである事を知った。
その様々な思念は、全てが正解であると同時に全てが不完全だった。
だからこそ、誰も間違っていないのに激しい摩擦が起こり、時には誰かを傷つける事すらある。
そんな「誰もが不本意な傷つけあい」を見てきて、不必要な痛みを見て、感じて。
ならば非難、あるいは避難する(避ける)以前に「正しい部分」を見つけ出してやればいいんじゃないかって思うようになった。
先に正しい部分を見つけてやれれば、どこがどう自分の考えと違うのか、何故すれ違ってしまうのかが見える。
そうやって相手の論理を追えれば、無駄に傷つく事も減るのではないだろうか。
ただ人を憎まないのではなく、憎む必要のない思考に。
無論、これだけで渡り歩いていけるほど世の中は甘くない。
誰彼構わずやっていたら、恐らくは詐欺やらマルチやらに瞬く間にたたみ掛けられて懐に空っ風だろう。
でも、ある程度親しい間柄だったりだとか、信頼できる仲だったりとか。
そんな場合には、1年前の持論よりも今の考えのほうが失うものが少ないのではないかと思う。
…結局、何が言いたいのか自分でもよくわからない。
今の持論は抽象的すぎて、具体的な言葉にはならなくて。
ただ言えるのは…そうだな、「バカと呼べるくらいのお人よしでありたい」。
許す心だとか、思いやりとか、結局はそういうところに回帰するのかもしれないけれど。
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プロフィール
HN:
another
年齢:
33
性別:
男性
誕生日:
1992/03/21
職業:
社会人
趣味:
日本文化に触れること
自己紹介:
不登校時代に「エターナルカオス」というゲームが大好きだった、とある平成生まれ。
現在は、どうにかこうにか社会人。
【座右の銘】
明日は明日の風が吹く
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明日は明日の風が吹く
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