~明日は明日の風が吹く~…なんてね。
読売はどうやら申請しないと貰えなくなったらしいのだが、今日の新聞の教員異動で私の愁いを悟った人もいるのではないかと思う。
私は今日報じられるはずだったこの情報を、3月4日には既に知ってしまっていた。
こんな日付を覚えているくらいなら英単語の1つでも覚えればいいものなのはわかりきっているんだが、どうにも記憶に強く焼き付いて離れないらしい。
事情をよくわかってくれていた教頭も、くだらない話で盛り上がった業務のにーちゃんも。
私が再起するきっかけとなり、最後までずっとサポートしてくれていた担任も…そして、一番親身になって話を聞いてくれて散々語り合った、養護の姉さんも。
皆、明日からはもう今の高校にはいない。
さらに私自身も、明日からはもう高校生を名乗れない。
3月4日、この情報を知ってしまった私の心はぽっかりと穴が開いた様な感覚だった。
丁度、自身が去る悲しみの感情を3ヶ月以上もかけてようやく収められそうになってきた時に、この異動の話が舞い込んできた。
大番狂わせもいいところ。
その日から、去る立場の悲しみと送る立場の悲しみの双方が私の心に巣食うようになった。
辛かったなぁ…。
養護の姉さんには「anotherが学校に残るなら私ももう1年いるつもりだった」なんて言われるし…とんだ問題児だったらしい、俺は。
笑っちまうほどに、アホらしいんだけどさ。
気づけば、今日という最終日が来ていた。
私の高校生活の終わり、恩師との別れ。
私はこれから1年間、何の肩書きも背負わずに生きる。
高校生ではなくなる。
でも、1年後の3月に卒業を迎える。
あぁそうだ、ここのプロフィールも書き換えないと…明日から1年間は学生じゃない。
何がいいかなぁ…誰か、いい肩書きない?
学ランを着る事も今日が…否、後1回だけ着るかな。
その時には、きっと……。
今日も例によって、用件もなしに学校へ。
(実は「未練がましい、もう行くな」って東進にはめっちゃ怒られてたんだけど…これだけは最後まで譲らなかった)
恐らく、高校生として最後に訪れるであろう高校。
昼飯奢ってもらっちゃったりとか…今日も相変わらず現役だとは思えない扱いされてたんだけど。
やけに濃いコーヒーを入れてもらうのも、今日が最後だったのか。
…クセになったのか、最近自分で入れるコーヒーがやたらと濃い。
もうここまで来たら意地、今日は絶対にどの先生の前でも泣くもんかって。
去る先生方に挨拶する度に泣きかけたけど、その度に堪えて。
どうしたもんか、この1年でやたらと涙もろくなっちまったなぁ…。
「お世話になりました。ありがとうございました」は当然常套句、だけど気づいたら「1年間、楽しかったです」なんて口に出している自分がいた。
あぁそうか、無意識にこんな言葉が出るとは…。
そんな自分に気づいた時、私は全てを悟った。
たしかに涙もろくなったかもしれない。
だけど、そんな事よりもずっとずっと大切な物をあの学校の色んな人から沢山貰ったんだって。
3年間普通に生きてたんじゃ、気づけなかったろうなぁ。
今の私だからこそ知りえた事、気づけた事。
今年度に復学したからこそ、同い年が主軸で動いてる部活を見れて。
今年度に復学したからこそ、明日で異動になる先生方から色んな事を学べて。
1年早くても1年遅くても、きっとダメだった。
全部が偶然だとしたら、出来すぎてるくらい。
偶然、諸先生のあの学校での最後の1年に私がかち合ったのか。
いや、ここまで来たらきっと偶然じゃないんだろう。
だから面白いんだろうなぁ、人生って。
1年間楽しかった…心からそう思う。
1年後には、またきっと…。
校門を出てふと振り返って校舎を見た時…ついに、堪えきれなくなった。
だけどいいだろ?今日という最終日は誰にも泣きっ面を見せずに去れた。
残る側の人も、私のように去る側の人も、明日から新しい1年が始まる。
別れは辛いし儚いけど、だからこそそれがいいんじゃないか。
涙の伝う頬を撫でる春風がやけにうっとおしくて、それでいて少しだけ優しく感じた。
私は今日報じられるはずだったこの情報を、3月4日には既に知ってしまっていた。
こんな日付を覚えているくらいなら英単語の1つでも覚えればいいものなのはわかりきっているんだが、どうにも記憶に強く焼き付いて離れないらしい。
事情をよくわかってくれていた教頭も、くだらない話で盛り上がった業務のにーちゃんも。
私が再起するきっかけとなり、最後までずっとサポートしてくれていた担任も…そして、一番親身になって話を聞いてくれて散々語り合った、養護の姉さんも。
皆、明日からはもう今の高校にはいない。
さらに私自身も、明日からはもう高校生を名乗れない。
3月4日、この情報を知ってしまった私の心はぽっかりと穴が開いた様な感覚だった。
丁度、自身が去る悲しみの感情を3ヶ月以上もかけてようやく収められそうになってきた時に、この異動の話が舞い込んできた。
大番狂わせもいいところ。
その日から、去る立場の悲しみと送る立場の悲しみの双方が私の心に巣食うようになった。
辛かったなぁ…。
養護の姉さんには「anotherが学校に残るなら私ももう1年いるつもりだった」なんて言われるし…とんだ問題児だったらしい、俺は。
笑っちまうほどに、アホらしいんだけどさ。
気づけば、今日という最終日が来ていた。
私の高校生活の終わり、恩師との別れ。
私はこれから1年間、何の肩書きも背負わずに生きる。
高校生ではなくなる。
でも、1年後の3月に卒業を迎える。
あぁそうだ、ここのプロフィールも書き換えないと…明日から1年間は学生じゃない。
何がいいかなぁ…誰か、いい肩書きない?
学ランを着る事も今日が…否、後1回だけ着るかな。
その時には、きっと……。
今日も例によって、用件もなしに学校へ。
(実は「未練がましい、もう行くな」って東進にはめっちゃ怒られてたんだけど…これだけは最後まで譲らなかった)
恐らく、高校生として最後に訪れるであろう高校。
昼飯奢ってもらっちゃったりとか…今日も相変わらず現役だとは思えない扱いされてたんだけど。
やけに濃いコーヒーを入れてもらうのも、今日が最後だったのか。
…クセになったのか、最近自分で入れるコーヒーがやたらと濃い。
もうここまで来たら意地、今日は絶対にどの先生の前でも泣くもんかって。
去る先生方に挨拶する度に泣きかけたけど、その度に堪えて。
どうしたもんか、この1年でやたらと涙もろくなっちまったなぁ…。
「お世話になりました。ありがとうございました」は当然常套句、だけど気づいたら「1年間、楽しかったです」なんて口に出している自分がいた。
あぁそうか、無意識にこんな言葉が出るとは…。
そんな自分に気づいた時、私は全てを悟った。
たしかに涙もろくなったかもしれない。
だけど、そんな事よりもずっとずっと大切な物をあの学校の色んな人から沢山貰ったんだって。
3年間普通に生きてたんじゃ、気づけなかったろうなぁ。
今の私だからこそ知りえた事、気づけた事。
今年度に復学したからこそ、同い年が主軸で動いてる部活を見れて。
今年度に復学したからこそ、明日で異動になる先生方から色んな事を学べて。
1年早くても1年遅くても、きっとダメだった。
全部が偶然だとしたら、出来すぎてるくらい。
偶然、諸先生のあの学校での最後の1年に私がかち合ったのか。
いや、ここまで来たらきっと偶然じゃないんだろう。
だから面白いんだろうなぁ、人生って。
1年間楽しかった…心からそう思う。
1年後には、またきっと…。
校門を出てふと振り返って校舎を見た時…ついに、堪えきれなくなった。
だけどいいだろ?今日という最終日は誰にも泣きっ面を見せずに去れた。
残る側の人も、私のように去る側の人も、明日から新しい1年が始まる。
別れは辛いし儚いけど、だからこそそれがいいんじゃないか。
涙の伝う頬を撫でる春風がやけにうっとおしくて、それでいて少しだけ優しく感じた。
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プロフィール
HN:
another
年齢:
33
性別:
男性
誕生日:
1992/03/21
職業:
社会人
趣味:
日本文化に触れること
自己紹介:
不登校時代に「エターナルカオス」というゲームが大好きだった、とある平成生まれ。
現在は、どうにかこうにか社会人。
【座右の銘】
明日は明日の風が吹く
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【座右の銘】
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