~明日は明日の風が吹く~…なんてね。
そして、私にそれだけの文章を書く技量が果たしてあるのだろうか。
まあいい、出来るだけやってみよう。
以下、ニュース記事からの引用。
『女の子から相談され「殺すしかない」と供述 富田林高1殺害』
大阪府富田林市新堂の石川河川敷で同府河内長野市南花台、私立千代田高1年、大久保光貴さん(15)の遺体が見つかった事件で、富田林署捜査本部に殺人と死体遺棄の疑いで逮捕された富田林市に住む公立高校3年生の少年(17)は、大久保さんと交際している女子生徒から相談を受けていたことが13日、分かった。
捜査本部によると、少年は動機について「好きになってしまった女子生徒を困らせる大久保さんが許せなかった。助けてやるためには存在自体をこの世から消すしかないと考えた」と供述しているという。
捜査本部によると、少年は同じ公立高校の後輩の女子生徒から大久保さんとの交際をめぐって相談を受けていた。大久保さんを携帯電話で呼び出し、11日午後7時半ごろ、待ち合わせ場所の近鉄長野線富田林西口駅(富田林市)から、大久保さんを自分の自転車に乗せて現場の石川河川敷に向かった。
少年は話し合いの途中、「心理テストをやる」とうそをついて川の護岸に座らせ、目を閉じさせた上、木製バットや木づちなどで殴打。倒れた大久保さんを護岸から川にけり落としたという。バットは事前に現場に隠していたらしい。
また、捜査本部は、少年の供述に基づき、自宅近くでポリ袋に包んで捨てられているのを発見。なくなっていた大久保さんの携帯電話も少年の自宅から見つかった。
引用終了。
…簡潔に言えば「自分が惚れてしまった女を泣かせた男を殺した」ってところか。
まあ一部では「女子生徒は今回の容疑者の元カノだった」なんていう情報も流れている次第で、どこまでが真実かはわからないのだが。
それでも「相談を持ちかけられて殺した」という大筋は確かなのだろう。
この事件は私にはある意味、「恋愛感情に絡むエゴイズムの象徴」のようなものに思える。
私も「女泣かせはやったらあかん」(「女性に拳はあげない」ってやつ)くらいの精神は持っているが、その「女泣かせ」を殺して、果たしてこの女子生徒は救われたのだろうか?
今頃は「自分の行動が殺人犯を作ってしまった、人の命を奪ってしまった」というかなり重度の自己嫌悪に駆られていても何ら不思議ではないだろうと思う。
そしてこの傷は、恐らく一生モノのレベル。
目の前の女性を助けるどころか、一生十字架を背負わせる事にもなりかねない。
これくらい、少し考えればすぐにわかる事だ。
では何故犯行を実行するまでにそこまで考えが及ばなかったのか?
それは他の何でもない、その少年が自分のエゴに駆られていたからなのではないだろうか。
一見すると女子生徒を思っての犯行、しかしその化けの皮を剥いだ本性は自分の人生を犠牲にしてでも女子生徒にとっての『障害』を排除する事によって得られる自己満足、独善を求めたものだったのではなかろうか。
女子生徒の心情も、被害者の少年の未来を潰してしまう事も眼中に置かず犯行に及んでしまったのは自身のエゴを追い求めてしまったから、私にはそんな気がしてならない。
元々人間という生き物そのものが、エゴイズムの塊みたいなものだ。
特に恋愛感情に於いては、そのエゴが顕著に見えたりする。
たとえば…人は自分の恋人に浮気をされた時に、ほとんどの場合恋人やあるいはその相手に対して怒りの感情を抱く。
だが、それは果たして本当に「愛」なのか?と私は疑問に思う。
自分の愛する人の事を本当に思っているなら、怒りの感情を抱かないのではないだろうか。
愛する人の心理、行動…愛する人の全てを認めてやる事こそが本当の「愛」なのではないか。
愛する人が自分以上に大切な人に出会った、ならばそれを笑顔で見送って幸福を願ってやれるくらいじゃないと。
ところが浮気を怒って「自分だけを見ろ、自分だけを愛せ」とするのは他の何者でもない、自身の独占欲に基づくエゴではないのだろうか。
その人を自分のものにしておきたい、そんなエゴ丸出しの感情の表れであるように見える。
考え方によっては、結婚という制度はそんなエゴの究極形とも言えるかもしれない。
お互いに結婚という制度で、何重にも束縛する。相手が自分以外には目を向けられないように。
そして相手はもう自分の懐から離れまい、と安心感を得る。
まさに「自身を利益を極限まで追い求めた」エゴイズムに他ならないのではないだろうか。
そもそも「愛」というのは特定の密接な関係下だけの感情でもない気さえする。
私は別にキリスト教徒って訳でもないのだが、聖書には「隣人を自分のように愛しなさい」とある。
ならば私は、自分の思う大切なものを全て愛してやろうではないか。
全部まとめて、愛してやる。
…17のガキが小生意気にこんな事を偉そうに語るからモテないのかもしれないのだけれども。
最後に、今回の事件で亡くなった少年の冥福と、女子生徒と容疑者の少年の未来が少しでも明るいものであってほしい事を祈ります。
それじゃ、今日はこれで。
|////| ( )ノ |////| ウィーン(自動ドア
まあいい、出来るだけやってみよう。
以下、ニュース記事からの引用。
『女の子から相談され「殺すしかない」と供述 富田林高1殺害』
大阪府富田林市新堂の石川河川敷で同府河内長野市南花台、私立千代田高1年、大久保光貴さん(15)の遺体が見つかった事件で、富田林署捜査本部に殺人と死体遺棄の疑いで逮捕された富田林市に住む公立高校3年生の少年(17)は、大久保さんと交際している女子生徒から相談を受けていたことが13日、分かった。
捜査本部によると、少年は動機について「好きになってしまった女子生徒を困らせる大久保さんが許せなかった。助けてやるためには存在自体をこの世から消すしかないと考えた」と供述しているという。
捜査本部によると、少年は同じ公立高校の後輩の女子生徒から大久保さんとの交際をめぐって相談を受けていた。大久保さんを携帯電話で呼び出し、11日午後7時半ごろ、待ち合わせ場所の近鉄長野線富田林西口駅(富田林市)から、大久保さんを自分の自転車に乗せて現場の石川河川敷に向かった。
少年は話し合いの途中、「心理テストをやる」とうそをついて川の護岸に座らせ、目を閉じさせた上、木製バットや木づちなどで殴打。倒れた大久保さんを護岸から川にけり落としたという。バットは事前に現場に隠していたらしい。
また、捜査本部は、少年の供述に基づき、自宅近くでポリ袋に包んで捨てられているのを発見。なくなっていた大久保さんの携帯電話も少年の自宅から見つかった。
引用終了。
…簡潔に言えば「自分が惚れてしまった女を泣かせた男を殺した」ってところか。
まあ一部では「女子生徒は今回の容疑者の元カノだった」なんていう情報も流れている次第で、どこまでが真実かはわからないのだが。
それでも「相談を持ちかけられて殺した」という大筋は確かなのだろう。
この事件は私にはある意味、「恋愛感情に絡むエゴイズムの象徴」のようなものに思える。
私も「女泣かせはやったらあかん」(「女性に拳はあげない」ってやつ)くらいの精神は持っているが、その「女泣かせ」を殺して、果たしてこの女子生徒は救われたのだろうか?
今頃は「自分の行動が殺人犯を作ってしまった、人の命を奪ってしまった」というかなり重度の自己嫌悪に駆られていても何ら不思議ではないだろうと思う。
そしてこの傷は、恐らく一生モノのレベル。
目の前の女性を助けるどころか、一生十字架を背負わせる事にもなりかねない。
これくらい、少し考えればすぐにわかる事だ。
では何故犯行を実行するまでにそこまで考えが及ばなかったのか?
それは他の何でもない、その少年が自分のエゴに駆られていたからなのではないだろうか。
一見すると女子生徒を思っての犯行、しかしその化けの皮を剥いだ本性は自分の人生を犠牲にしてでも女子生徒にとっての『障害』を排除する事によって得られる自己満足、独善を求めたものだったのではなかろうか。
女子生徒の心情も、被害者の少年の未来を潰してしまう事も眼中に置かず犯行に及んでしまったのは自身のエゴを追い求めてしまったから、私にはそんな気がしてならない。
元々人間という生き物そのものが、エゴイズムの塊みたいなものだ。
特に恋愛感情に於いては、そのエゴが顕著に見えたりする。
たとえば…人は自分の恋人に浮気をされた時に、ほとんどの場合恋人やあるいはその相手に対して怒りの感情を抱く。
だが、それは果たして本当に「愛」なのか?と私は疑問に思う。
自分の愛する人の事を本当に思っているなら、怒りの感情を抱かないのではないだろうか。
愛する人の心理、行動…愛する人の全てを認めてやる事こそが本当の「愛」なのではないか。
愛する人が自分以上に大切な人に出会った、ならばそれを笑顔で見送って幸福を願ってやれるくらいじゃないと。
ところが浮気を怒って「自分だけを見ろ、自分だけを愛せ」とするのは他の何者でもない、自身の独占欲に基づくエゴではないのだろうか。
その人を自分のものにしておきたい、そんなエゴ丸出しの感情の表れであるように見える。
考え方によっては、結婚という制度はそんなエゴの究極形とも言えるかもしれない。
お互いに結婚という制度で、何重にも束縛する。相手が自分以外には目を向けられないように。
そして相手はもう自分の懐から離れまい、と安心感を得る。
まさに「自身を利益を極限まで追い求めた」エゴイズムに他ならないのではないだろうか。
そもそも「愛」というのは特定の密接な関係下だけの感情でもない気さえする。
私は別にキリスト教徒って訳でもないのだが、聖書には「隣人を自分のように愛しなさい」とある。
ならば私は、自分の思う大切なものを全て愛してやろうではないか。
全部まとめて、愛してやる。
…17のガキが小生意気にこんな事を偉そうに語るからモテないのかもしれないのだけれども。
最後に、今回の事件で亡くなった少年の冥福と、女子生徒と容疑者の少年の未来が少しでも明るいものであってほしい事を祈ります。
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プロフィール
HN:
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年齢:
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性別:
男性
誕生日:
1992/03/21
職業:
社会人
趣味:
日本文化に触れること
自己紹介:
不登校時代に「エターナルカオス」というゲームが大好きだった、とある平成生まれ。
現在は、どうにかこうにか社会人。
【座右の銘】
明日は明日の風が吹く
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