~明日は明日の風が吹く~…なんてね。
爆撃機B-29「エノラ・ゲイ」によってウラン型原子爆弾「リトルボーイ」が広島に投下されてから今日で丁度64年。
今年も綴ろうか、被爆三世として、原爆の恐怖を遺伝子に刻み込まれている身として。
参考:去年の私のエントリ
64年…ざっと私の年齢の4倍くらい。
もう風化しはじめているのも否めない。
しかし原爆に関しては64年経った今でも尚、アメリカが機密扱いとしている部分は多い。
確かに原爆の設計なんかは機密にしておかないと危ないのだろうし、私も知ろうとは思わない。
もしかしたら、そこにも何らかの影は潜んでいるのかもしれないが。
アメリカ側の真実を知る者も時代と共に少なくなりつつある。
むしろ、被爆して桁違いの損害を受けた日本に比べたらアメリカで1945年8月6日を知る者なんて元々ずっと少ないのだろう。
先日、エノラ・ゲイの元搭乗員のインタビューを何かの番組で見た。
もう搭乗員も生存者は2人?しかいないとか。
正直な話、私は出で立ちの関係かこの手の話になるとアメリカを敵視したがる傾向がある。
未だに原爆投下を命じた第33代アメリカ合衆国大統領トルーマンが許せない。
(ルーズベルトは原爆開発の推進こそしたが投下するつもりはなかったという説があり、複雑な心境…実際、投下命令は下していないし)
対して「ソ連への抑止」を目的に日本に原爆を落としたトルーマンがどうしようもなく許せない。
「戦争の早期終結」なんて、身近に被爆者がいる…被爆者の血縁である私には言い訳にしか聞こえないのだ。
だからこそ、アメリカ側の視点も考えて少しでも公平な目で原爆投下を捉えたい。
それなのに未だに隠蔽しようとされてしまう。
エノラ・ゲイの航路もまた、未だに謎に包まれている部分が多い。
ご存知だろうか、「反転爆撃」という説。
広島では8月6日の7時9分に一度空襲警報が発令されている。
Wikipediaなんかでは「観測機を捕捉して空襲警報が発令された」と書かれているが、観測されたのは「エノラ・ゲイそのものだった」という説がある。
空襲警報が発令されたものの、爆撃もなく警報が解除されたら人々は安心して防空壕から出てくる。
一度空襲警報を発令させる為に広島上空を通過、その後反転して空襲警報が解除された後に気づかれないよう高高度から安心した人々を原爆で狙った、という説。
これが本当なら、日本人は原爆の威力を確かめるためのモルモットにされたのだ。
エノラ・ゲイの航行記録にも数十分の空白がある。
先述のインタビューで元搭乗員はその空白の真実を吐こうとはしていなかった。
「記録する必要がなかった」…軍事記録にそんな空白が必要か?
むしろ最重要だった原爆投下の記録なら必要なくとも記録はしておかねばならんもんだろうと思うのだが。
明らかに、都合の悪い事を隠されているような気がしてならない。
そういえば、何年か前に原爆開発に携わっていた研究者が広島の資料館を訪れていたが、資料を見ていた彼の目は実験対象を観察する研究者のそれであった。
後悔や悲しみの感情は感じられなかった。
そして被爆者との対談でも、謝罪をいくら求められても一言も謝罪はしていなかった。
…何なんだよ、平和のための核って。
平和のために戦争レベルの人殺しが必要なら、そんな平和…私は要らない。
…憎しみの感情は表に出さないつもりだったんだけど、今年はちょっと耐えられなかったらしい。
何日か前に見た「反復爆撃」のインタビューを受けている元搭乗員の態度が許せなかったのかもしれない。
憎しみは、更なる憎しみを連鎖させていくだけなのに…。
変な言い回しになるけど、私は被爆者を祖父に持つ事を誇りに思う。
今日のエントリみたいに感情に呑まれやすくなるかもしれない、だけどそれと同時に他人よりも原爆の惨さを少しは熟知している立場でいられる。
所詮は「聞いた話」でしかない、だけど生の声を今まで沢山聞いてきた。
(あるいはビジョンも私の遺伝子のどこかにあるのかもしれない)
祖父には申し訳なくて、原爆の話を聞いたのは中学の時に一緒に広島に行った時が最後だけど…。
それを、未来へ語り継がなきゃいけないんだと思う。
もう、時間がない。だけど風化させてはならない。
過去の過ちを、禁忌を。
世界平和には程遠い、だけどせめて「核兵器は人類の禁忌」くらいは後世に語り継いでいけたら、本望だ。
たとえ、自分の遺伝子が被爆三世の傷物だったとしても。
もし私が遺伝が原因で白血病でも発病して死んだら、少しは核兵器が間違った兵器だって世界に訴えかけられるかな。
その時は、あの世でトルーマンと平和についていくらでも語らってやろう。
あの世なら…英語できなくても言葉通じるよな…。
本当はトルーマンをぶん殴って来たいところだけど、それじゃあ「憎しみの連鎖」と変わらない。
…まあもし死んだら、は半ば冗談だけど。
でも、そんな可能性だって実際には十分あり得る。核兵器ってのはそういうもの。
少なくとも今は、ここの読者にだけでも被爆者の…私の気持ちが伝わってくれたら。
そして、近い未来で世界平和が来たる事を願って。
2009年 8月6日
今年も綴ろうか、被爆三世として、原爆の恐怖を遺伝子に刻み込まれている身として。
参考:去年の私のエントリ
64年…ざっと私の年齢の4倍くらい。
もう風化しはじめているのも否めない。
しかし原爆に関しては64年経った今でも尚、アメリカが機密扱いとしている部分は多い。
確かに原爆の設計なんかは機密にしておかないと危ないのだろうし、私も知ろうとは思わない。
もしかしたら、そこにも何らかの影は潜んでいるのかもしれないが。
アメリカ側の真実を知る者も時代と共に少なくなりつつある。
むしろ、被爆して桁違いの損害を受けた日本に比べたらアメリカで1945年8月6日を知る者なんて元々ずっと少ないのだろう。
先日、エノラ・ゲイの元搭乗員のインタビューを何かの番組で見た。
もう搭乗員も生存者は2人?しかいないとか。
正直な話、私は出で立ちの関係かこの手の話になるとアメリカを敵視したがる傾向がある。
未だに原爆投下を命じた第33代アメリカ合衆国大統領トルーマンが許せない。
(ルーズベルトは原爆開発の推進こそしたが投下するつもりはなかったという説があり、複雑な心境…実際、投下命令は下していないし)
対して「ソ連への抑止」を目的に日本に原爆を落としたトルーマンがどうしようもなく許せない。
「戦争の早期終結」なんて、身近に被爆者がいる…被爆者の血縁である私には言い訳にしか聞こえないのだ。
だからこそ、アメリカ側の視点も考えて少しでも公平な目で原爆投下を捉えたい。
それなのに未だに隠蔽しようとされてしまう。
エノラ・ゲイの航路もまた、未だに謎に包まれている部分が多い。
ご存知だろうか、「反転爆撃」という説。
広島では8月6日の7時9分に一度空襲警報が発令されている。
Wikipediaなんかでは「観測機を捕捉して空襲警報が発令された」と書かれているが、観測されたのは「エノラ・ゲイそのものだった」という説がある。
空襲警報が発令されたものの、爆撃もなく警報が解除されたら人々は安心して防空壕から出てくる。
一度空襲警報を発令させる為に広島上空を通過、その後反転して空襲警報が解除された後に気づかれないよう高高度から安心した人々を原爆で狙った、という説。
これが本当なら、日本人は原爆の威力を確かめるためのモルモットにされたのだ。
エノラ・ゲイの航行記録にも数十分の空白がある。
先述のインタビューで元搭乗員はその空白の真実を吐こうとはしていなかった。
「記録する必要がなかった」…軍事記録にそんな空白が必要か?
むしろ最重要だった原爆投下の記録なら必要なくとも記録はしておかねばならんもんだろうと思うのだが。
明らかに、都合の悪い事を隠されているような気がしてならない。
そういえば、何年か前に原爆開発に携わっていた研究者が広島の資料館を訪れていたが、資料を見ていた彼の目は実験対象を観察する研究者のそれであった。
後悔や悲しみの感情は感じられなかった。
そして被爆者との対談でも、謝罪をいくら求められても一言も謝罪はしていなかった。
…何なんだよ、平和のための核って。
平和のために戦争レベルの人殺しが必要なら、そんな平和…私は要らない。
…憎しみの感情は表に出さないつもりだったんだけど、今年はちょっと耐えられなかったらしい。
何日か前に見た「反復爆撃」のインタビューを受けている元搭乗員の態度が許せなかったのかもしれない。
憎しみは、更なる憎しみを連鎖させていくだけなのに…。
変な言い回しになるけど、私は被爆者を祖父に持つ事を誇りに思う。
今日のエントリみたいに感情に呑まれやすくなるかもしれない、だけどそれと同時に他人よりも原爆の惨さを少しは熟知している立場でいられる。
所詮は「聞いた話」でしかない、だけど生の声を今まで沢山聞いてきた。
(あるいはビジョンも私の遺伝子のどこかにあるのかもしれない)
祖父には申し訳なくて、原爆の話を聞いたのは中学の時に一緒に広島に行った時が最後だけど…。
それを、未来へ語り継がなきゃいけないんだと思う。
もう、時間がない。だけど風化させてはならない。
過去の過ちを、禁忌を。
世界平和には程遠い、だけどせめて「核兵器は人類の禁忌」くらいは後世に語り継いでいけたら、本望だ。
たとえ、自分の遺伝子が被爆三世の傷物だったとしても。
もし私が遺伝が原因で白血病でも発病して死んだら、少しは核兵器が間違った兵器だって世界に訴えかけられるかな。
その時は、あの世でトルーマンと平和についていくらでも語らってやろう。
あの世なら…英語できなくても言葉通じるよな…。
本当はトルーマンをぶん殴って来たいところだけど、それじゃあ「憎しみの連鎖」と変わらない。
…まあもし死んだら、は半ば冗談だけど。
でも、そんな可能性だって実際には十分あり得る。核兵器ってのはそういうもの。
少なくとも今は、ここの読者にだけでも被爆者の…私の気持ちが伝わってくれたら。
そして、近い未来で世界平和が来たる事を願って。
2009年 8月6日
+ + + + + + + + + +
…去年のほうが上手く書けてたかもなぁ。
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プロフィール
HN:
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年齢:
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性別:
男性
誕生日:
1992/03/21
職業:
社会人
趣味:
日本文化に触れること
自己紹介:
不登校時代に「エターナルカオス」というゲームが大好きだった、とある平成生まれ。
現在は、どうにかこうにか社会人。
【座右の銘】
明日は明日の風が吹く
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